生まれてきた子は医療的ケア児③

 

 

 

今まで、障害や病気のある方を差別とか、そういう気持ちはありませんでした。

 

ただ、自分の子どもに病気があるってなると話は違いました。

 

 

妊娠中絶の期間も過ぎていたので、堕ろすという選択はありませんでしたが、中絶ができる期間だったら、考えていたのかな?

 

それとも子どもが好きという理由で産む選択をしていたのかな?

 

どうなっていたのかは分かりません。

 

 

産む選択しかない以上、病気を受け入れて、病気をよく知って、産んだ後の環境を整えることに全力でした。

 

こうでもしないと自分の心が保てないと思ったからです。

 

 

幸い、リンパ管腫以外に異常はありませんでしたが、リンパ管腫が大きいため、帝王切開での出産が決まりました。

 

 

 

そして、妊娠8ヶ月の頃、お腹の張りを感じて、念のため病院へ。

 

子宮頸管の長さが1.3センチ!(通常なら8センチくらいらしい)緊急入院がその場で決まりました。

 

切迫早産と妊娠糖尿病であることがわかり、出産まで、一時帰宅はできないと言われました🥲

 

 

入院してすぐの頃は、コロナが落ち着きつつあり面会ができたのですが、再び感染が広まり、一週間が経った頃から面会ができなくなりました。

 

 

極力外部との接触を避けるため、病気の現状や出産のリスクについての説明はほとんど私1人で聞きました。

 

話を聞いては、病室で泣き、👨🏻に電話して。

精神的にギリギリの状態でした。

 

 

隣の病室の人は、普通の赤ちゃんなんだろうな。

 

こんなことを思いたくないのに、どうしても思ってしまう自分が嫌で、私なんて母親に向いてないと思いました。

 

 

出産が近づくにつれて、先生の説明もより具体的になってきました。

 

「生まれてくる姿を見て、びっくりするかもしれない。顔が普通の赤ちゃんと大きく違う。心の準備が必要。」

 

これが1番ショックで、1番現実的でした。

 

頑張って生まれてきてくれても、可愛いと思える自信がなくなりました。

 

1人で病室で大泣きして、悩んだ結果、👨🏻に恐る恐る相談しました。

 

すると👨🏻は、

 

「無理に可愛いと思わなくてもいいと思う。時間をかけて、会いたい時に会いに行けばいい。」

 

この言葉で気持ちがとても楽になりました。

 

私は、“子どもは絶対可愛いと思わなきゃ、愛さなきゃ”と母親としての姿を決めつけ、自分を苦しめていたことに気が付きました。

 

 

この日から少しずつ出産や自分の子どもに、前向きに考えられるようになりました。

 

 

次に続きます。